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2023年11月01日 [院長コラム]
ブラック・ジャックと昔の思い出
現在六本木ヒルズ森タワー 東京シティビューで開催されている「手塚治虫 ブラック・ジャック展」、ご存じでしょうか。ずっと楽しみにしておりましたが、先日ようやく行ってまいりました。
当時、ほぼ全連載をリアルタイムで読んでいた大好きな漫画です。この展覧会を観に行くにあたり、久しぶりに蔵書の手塚治虫文庫全集からブラック・ジャック全12巻を引っ張り出してすべてのエピソードを再読しました。
いまは医療従事者のはしくれとして仕事をさせていただいているので、中で描かれている手術の荒唐無稽さは昔に比べよく分かるのですが、それでもこの作品の持つ大いなる魅力はいささかも揺るぎません。こんなに胸を打つ感動的な嘘をつける手塚先生はやはり天才だと改めて思います。
展覧会ではエピソードごとに一部のページの原画が展示してあり、初めて手塚先生の生原稿を目の当たりにすることができました。特に好きなエピソードでは涙腺が緩むこともしばしばで、こんな素晴らしい展示を開催してくださった関係者の方々にはもう感謝しかありません。
おそらくは膨大な手塚漫画の中でも、鉄腕アトムや火の鳥以上に最も読者の多い作品ではないでしょうか。ブラック・ジャック好きの方にとって間違いなく、訪れる価値のある展覧会だと思います。未読の方は・・・うちの待合室に全巻揃っています。笑 ぜひお読み下さい。
さて、そんなに好きなら、なれたかどうかはともかく医者を目指せばよかったじゃんという声が聞こえてきそうですが、それでも歯医者を志した理由があります。実はいたのです。小学生の時、私にとっての「歯科医のブラック・ジャック」が。
私は小さい頃から歯磨きをさぼってばかりで、口の中にはいつもむし歯ができているような子供でした。今から約50年前のこと・・・といっても言い訳にもならないのですが、とにかく歯科医院に通わざるを得なくなることが多かったのです。その頃は今のように「石を投げれば歯医者に当たる」時代では無くて、どこの歯科医院も大変な混雑でした。2〜3時間待たされて5分診療、のようなことが普通だったのです。小学校3年生くらいから一人で受診するよう親に言われていたので、待ち時間は暇で仕方がありません。もちろんスマホもありませんしね。
そこで、ちゃんと予約で診療してくれる、比較的空いている歯科医院を探してほしいと親に頼みました。それで見つけてくれたのが自宅すぐ近くのマンションの一室、いわゆるテナント開業という感じでは無くてほんとに一部屋改造してユニット(診療チェア)置いちゃいましたみたいな隠れ家的医院だったのです。
待合室も他に人がいることは少なく、他の歯科医院とは違いなにやら静謐な感じが漂っていたことを今でもはっきりと覚えています。置いてある雑誌といえば今は無きアサヒグラフのみ。渋い。肝心の院長先生は眼鏡をかけて寡黙でクールな佇まい。顔に傷跡はありませんでしたが、雰囲気がブラック・ジャックに似ていると子供ながらに思ったものです。
そしてその先生(I先生とお呼びいたします)、さらにブラック・ジャックっぽいところがありました。普段はただみたいなお会計が、たまに突然「次回3万円持ってきてね」になるのです。もっと高いこともありました。親に出してもらうお金とはいえ、50年前の小学生に3万円は天文学的金額です。本家ブラック・ジャックなら3万ではなく3千万円になるところなのでそこのスケールに違いはありますが、まあとにかく普段との金額のギャップに驚いたものです。
もちろん今ならその仕組みは分かります。I先生は修復物や補綴物(昔なのでほぼ全てが金属を鋳造した詰め物、冠です)を入れる治療は、全て保険外の自費診療だったのです。
ご自身の技術に自信と誇りがあったのだなあとしみじみ思います。
I先生には随分お世話になりました。私の歯の治療の大半はI先生によるものです。先日歯の根に痛みが生じ歯科医師会の親しい先生に治療していただきましたが、その歯はそれこそ約50年前にI先生が冠を被せてくださった歯でした。歯科医師会の先生は、「この歯を治療した人はとても上手な先生だ」と感想を述べられていました。
痛かったら手を挙げてねと言ったくせに、挙げても無視されたとか納得のいかないこともありましたが、I先生はひたすらカッコ良く、私の憧れとなりました。そして憧れはいつしか目標になり・・・結局そこから「将来歯医者になる」という気持ちはぶれませんでした。
まあ、歯学部に入ったときは「矯正医」なんて考えもしませんでしたが。
改めて考えてみると、I先生との出会いが無ければ歯医者を目指すことなんて絶対無かったように思えます。
それまでほんとに大嫌いだったので。歯医者も歯科医院も。