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2023年06月29日 [院長コラム]
映画館で映画を観ること
先日アマゾンプライムに新しく追加された映画のリストを見て椅子からずり落ちそうになりました。つい3週間ほど前にわざわざ昭島の映画館まで観に行った映画が、もう見放題のリストに入っていたのです。
逆に、ついこの間封切られたものの、短期で公開が終了してしまい見逃していた映画が、既にネットフリックスで観られるようになっていました。
映画や海外ドラマが大好きなので常日頃ストリーミングサービスにはお世話になっているのですが、それでも基本、映画は映画館で観ます。
大画面、高音質の迫力はやはり映画館でなければ味わうことが難しいですし、新作はなるべく早く鑑賞したいという映画ファンならではの欲求もありますから。
でも、ここまでシアトリカル・ウィンドウ(新作映画を劇場公開してから、DVDやデジタル配信をするまでの期間)が短縮されてくると、「わざわざ映画館に行く必要あるの?」という意見に反論するのが難しくなってきました。
また、個人的には映画館での鑑賞体験は何ものにも代えがたいとは思っていますが、それでも嫌な気持ちになってしまうことが実は少なくありません。それは映画の出来不出来のことではなく、近くに座ったお客さんの携帯電話の使用と、一緒に来た人同士の会話です。特に携帯電話は上映中の使用に遭遇することが思いのほか多く、繰り返し行われる本編上映前の注意喚起が充分には効果を上げていないことを痛感するばかりです。
この間は着信音を盛大に鳴らしたあげく、通話を始めてしまった人もいました。これは極端な例としても、あの画面の明かりがともるだけで集中力はガタガタになります。
マナーを守って鑑賞している観客がこういった状況に遭遇すると、「まあ近くの客は選べないからな」と映画館での鑑賞を回避するようになり、自宅鑑賞派になってしまうということも少なからずあるでしょう。これは本当に悲しいことです。
さらに、一部のシネコンは鑑賞料金が一般2,000円に上がります。もちろんポイントやサービスデーなどを使えばもっと安く観ることが出来るのですが、それでも額面としてはなかなかのものです。わざわざ時間を割いて、それだけのお金を使って、それでも来て良かったと思わせる、そういった鑑賞体験を提供する努力を、製作会社、配給会社、興行会社は一体となってし続けなければいけません。でなければ、今映画を取り巻く環境を考えると、映画館で映画を観るという文化はやがて見る影もなく廃れていってしまうでしょう。
小学校5年生のときに、両親に初めて連れて行ってもらった洋画が「タワーリング・インフェルノ」でした。場所は新宿ミラノ座、先日開業した東急歌舞伎町タワーの建つ場所にあった巨大な映画館です。50年近く前ですが、あの日のことは今でも鮮明に記憶しています。びっしり満員の場内。ポール・ニューマンの乗るヘリが飛翔するオープニングロール。ファイヤーファイター役のスティーブ・マックイーンの勇姿。クライマックスの捨て身の消火計画とスクリーンを食い入るように見つめる両隣の父、母の目。飛ぶように過ぎ去った165分を経験し、それ以来私は、映画と、映画館の無い人生は考えられなくなりました。
自宅ならちょっと待てば配信で安く観られるし、印象の良くないお客さんに遭遇することもない。わざわざ映画館で映画を観ることの意味ってなんなのでしょう?
「非日常」なんて野暮なことは言いません。私にとって映画は「映画館で観るもの」と刷り込まれてしまっているのです。そして、映画は映画館で観てこそより深い感動や興奮を味わえると昔から頑なに信じています。私はその文化が絶えることがないよう願いながら、死ぬまで映画館で映画を見続けたいと心から思っています。
最後に、余談ですが、「鬼滅の刃 無限列車編」をとしまえんのIMAXで鑑賞した時のことです。私の隣に座ったのは小学校5〜6年生くらいのやんちゃそうな男の子だったのですが、その子、クライマックスの煉獄さんと猗窩座の対決あたりからずっと号泣しているんです。もう泣き声が聞こえるくらい。
・・・映画はもちろん良かったですけど、それ以上に何かよいものを見せてもらった感じがしました。
あの子、映画好きになるといいな。