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2025年05月08日 [院長コラム]

「火の鳥」は未完のままで良いと思う

よく再提出を命じられなかったものだと今更ながら思いますが、中学2年生の時、夏休みの読書感想文に漫画の感想文を書いて出したことがあります。
その頃は小説など文字だけの本が嫌いでほとんど読んでいなかったので、小学生の頃から読書感想文は拾い読みして適当に書いていました。ただ先生もプロですから、「こいつまともに読んでないな」とはっきり分かっていたに違いありません。当然、ああいった宿題で褒められたことは一回もありませんでした。

しかし中2の夏、ある本を読んで猛烈に感想文を書きたくなったのです。もうこれは大げさに言えば「書かなきゃいかん」という衝動のようなものでした。

その本は「火の鳥 未来編」。

天才漫画家、手塚治虫先生の大作「火の鳥」、その黎明編に続く2つめのエピソードです。

最近はそれほどでもありませんが、若かりし頃は相当な冊数の漫画を読んできました。今まで読んだ中で最も感銘を受けた作品を挙げるとすると、岩明均先生の「寄生獣」か「火の鳥 未来編」ということになるかと思います。

未来編が描かれたのは1967〜68年。実に60年近く前の作品になりますが、内容は昨日描かれたといわれても全く違和感がありません。AIが人類に与える脅威や政府による管理社会、そしてどこかで必ず行われている、人間の業ともいえる行為である戦争。ジョージ・オーウェルの小説「1984年」的でもありますし、またAIが暴走して人類を滅亡に導く描写は映画「ターミネーター」よりもずっと先でした。

さらにこの物語は、我々人類が、この地球における何回目かの支配者であることを示唆します。つまり、いままで地球を支配するに至った種族は皆どこかで「失敗」してきたのだということです。取り返しのつかない失敗がギリギリのところまで来ているようにも感じられる今の世界を思うと、本当に背筋が寒くなる思いがします。

全編救いの無い話ではあるのですが、そのスケールはミクロからマクロまで、信じられないほど壮大に展開します。そして未来編は、火の鳥のモノローグで幕を閉じます。

「でも、今度こそ」と火の鳥は思う

「今度こそ信じたい」

「今度の人類こそきっとどこかで間違いに気がついて……」

「命を正しく使ってくれるようになるだろう」と……

「命を正しく使う」とは、どういうことなのでしょうか?
中学生の自分には分かるはずもありませんでしたし、還暦を迎えた今になってもどういうことか明確に説明することは出来ません。

でも、この言葉には手塚先生の想いが全て詰まっている気がするのです。この言葉は折に触れて思い出してきましたし、これからも考え続けなければいけないと思っています。

さて、先日六本木ヒルズ・東京シティビューで行われている「火の鳥展 火の鳥は、エントロピーと抗う動的平衡=宇宙生命の象徴」に行って参りました。
以前ブラック・ジャック展が開催されたのと同じ場所で、今回もため息が出るほど素晴らしい手塚先生の生原稿がこれでもかと並べられ、気がつけば3時間時近く滞在していました。今回の展覧会は生物学者の福岡伸一先生が監修されており、各エピソードに対して生物学的・生命論的な視点からの考察がなされておりとても興味深かったです。
そして展覧会の最後には、未完である「火の鳥」の結末がもし描かれていたらどのようなものだったのかということが予想されています。それは非常に腑に落ちるラストではあったのですが、私の個人的な気持ちとしては、この作品は未完のままでよかったと思います。

「火の鳥」は輪廻転生を描く永遠の物語です。この宇宙自体が終わっても続いていく物語。そのようなものにはっきりした結末は必要ないと思うのです。私は終わりなき物語である「火の鳥」を、それこそ死ぬまで何回も、何回も読み返すでしょう。
改めて、このような素晴らしい物語を残して下さった手塚先生に心から御礼を言いたいと思います。本当に有り難うございました。

最後に、小中高校生の皆さん。おそらく学校の図書館にあるんじゃないかな、「火の鳥」。

時間があったら、ではなく時間を作ってでも是非読んでみて下さい。
そして、「命を正しく使うこと」とはどういうことなのか、ちょっとでも考えてみてくれたら嬉しいです。